山梨県=甲斐の国、といえば武田信玄。日本史が結構苦手なので、移住してから昔のNHK大河ドラマを見てお勉強しました。その後も、せっかくなのでもう少し山梨のことを知りたいなと思って図書館でいくつか本を借りてきました。

実は、山って歴史と密接に関係していることが多いんです。
山頂には小さな山城の跡があったりしますし、山を歩いていると「えっ こんなところにあの人の墓が!」とか、「この道をあの人もとおったのか、、」とか、なんとなく有名無名の古の人のことを身近に感じることも多いです。
今回借りてきたのは 武田信玄の作った道「棒道」や お城のことなどが書いてある本数冊。
甲府駅からまっすぐ北に延びる道を行くと、武田神社にぶつかります。武田神社は、武田家の屋敷、「躑躅が崎館(つつじがさきやかた)」の跡地に立っています。

館の西の守りとして湯村の山に「湯村城」があり、ここはいつもお散歩とトレーニングで登っているところです。 北の守りとしては要害山に「要害城」という城があります。
要害山は、信玄が生まれた城でもあるというので、駅から近いし、行ってみることにしました。
写真で見るとなんとなく暗い感じがしていたのですが、行ってみると明るくてそれほど傾斜もきつくなくて20分ほどで第一の門につきました。


要害城は尾根に沿って細長く次々と曲輪(警護の建物、住居などをがあるところ)が作られていて、いくつもの門を過ぎたところにひときわ広い平地が現れました。 ここが中心となる主郭と呼ばれる場所のようです。 かつては屋敷の他に立派な庭園もあったとか。
屋敷跡には「信玄公ご誕生の地」なる石碑も建てられていました。

信虎と今川は何度も戦っては和睦。敵か味方か全然わからない策略の時代で、私には苦手な分野です。何度目かわからないけど今川が攻めてきたとき、信玄の母大井殿は信玄を身ごもっていて、ここまで避難(1521年10/15)した後、ひと月経たないうちに信玄を産み落とした(11/3)ようです。
さすがに臨月でここまで登ってくるのは大変だっただろうと思います。おなかが張って痛かっただろうな、昔の人だから登れちゃうのかな、大変だな。そんなことを考えながら登りました。
一説では、麓にある「積翠寺」で産み落とした、ともいわれていますが、どちらにしても死ぬか生きるかの心配の中、出産をするというのは想像を絶すること。 昔の姫様も大変ですよね。

戦国の武将は命を懸けて戦ったので、ものすごい戦いをするのに反して信仰心は強く、甲府にもたくさんのお寺や神社、道にもたくさんの石碑を見かけます。
今日は武田神社には行けなかったので、いつか武田神社や信玄の作った信玄堤、軍道「棒道」など行ってみたいなと思います。
帰りは 甲斐市営の「百楽泉」へ。初めての訪問です。 お風呂も広め。サウナあり。男性の湯からはとても南アルプス、八ヶ岳などの良い眺めが見られたそうです。女性は目隠しがあって見えなかった。と思うのです。残念! でも、少しトロっとする泉質は好きでした!また来たいな!

